卵巣がんと二人三脚な日々

卵巣がんを寛解&更年期からの准看学生

やっと退院(束の間の休憩)

2020年11月24日

無事退院を迎える


う、外界は寒いぜ


入院中

暇なので想像を膨らませる


病棟は3階

そこを天界

2階、1階を外界

に見立ててた


外界は誘惑が多すぎる

(コンビニとチェーンコーヒー店)


歩き回れるようになると

ひとりで検査を受けに

行かされる


行き帰りに店の前を通るのだが

「秋の新作〇〇」

といった看板が目につく


まぶしい!(>ω<)

思わず誘惑に負けそうになる

食べられないので

看板の前にたたずみ


新作の写真を隅々まで観察

完全に怪しい


天界には

天使がいて(白衣じゃないけど)

患者は、もっぱら天に召された…

シャレにならん!


さようなら

中々できない体験を

させて頂きました


2回目の入院(2月)まで

2度と来たくありません


と誓ったのに…

身体が動くということ

入院、手術をすると

身体のあらゆる機能が低下する


〇噛むことは美味しい


食事を取るとは何気ない行為だが

歯ごたえのあるものを

噛むこと自体が

実は「美味しい」のひとつ

であることを知った


味とは別の感覚

「噛む」動作そのものが

「美味しい」と感じた


どんなに素晴らしい点滴液も

ひとくち噛むことの方が

何倍も元気になる


元気を貰えるのだ



〇筋力は生きること


運動をしないと

足が目に見えて細くなる

勿論尻もしぼんだ風船の如く


体重は増えても

筋力は前のように復活しない


今もつかまり立ちしないと立てず

このままでは寝たきり老人まっしぐら


決して筋力を落としてはいけない



〇考えることは疲れること


刺激のない生活は生ぬるい

病院はボーっとしてても

回るので厄介だ


卒業してから今まで

働いてきたので

こんなに長い間

ボーっとするのは初めてだ


ふやけた脳みそで仕事は

さながら肥満の人がフルマラソンを

してるかの如く


ボーっとすることは

実は脳にとって誘惑そのもの

麻薬のようである


そのまま行くと廃人決定

手を出してはいけない

自分の病気と親の介護と

私の年齢くらいの人の親は

ほぼ後期高齢者か

その付近にいる人たち


私の母も昭和一桁人だが

私より元気だ


耳が遠いのと

1度転んで膝にヒビを入れてから

長距離が歩けなくなったくらい


よく食べ外出大好きな人です

年齢からすると元気な方らしい

元気すぎるくらい…


「それ 介護じゃないよ」

と言われる範囲だが


自立しててもらうに越したことはないわけで


「自分のことはできる範囲自分でしてね」


というのが病気前の会話でした

(本心は面倒くさいから)


で、あながち間違ってなかったかな

と思った出来事が


入院してると似た世代の人と

知り合う機会が増える


親の話をする機会があって

ある女性の母親は

娘の病気にショックを受けて

寝込んでしまったそう


娘は入院中なので介護ができないし

「まったく困った(*_*;」

と仰ってました


自分も大変なのに

さらに面倒が増えるのは

生活する上で大変


私も場合によっては面倒見れないので

病気が判明した時は


私の病気は気にしない

自分の生活リズムは崩さない


をお願いしました


元気な母でも人の面倒を見れる

気力体力はありません


世のお父さん、お母さんにお願いしたい


まず自分が元気でいる事が

病気になってしまった子供への

最大の協力です


こ協力の程よろしくお願いしますm(_ _)m